出展作家紹介 - 移ろいの色、遥かなる眼差し -
小川泰生(オガワヤスオ)
1968 佐賀県に生まれ
1994 多摩美術大学卒業
2007~2008
文化庁「新進芸術家海外留学制度」研修員としてサンパウロに滞在
ブラジル現代美術、ブラジル先住民の文化・哲学をリサーチするとともに、現地の現代美術作家と交流を重ねる。
2012 第27 回ホルベインスカラシップ奨学生認定
個展
2014 「Echo in the depths」 REIJINSHA GALLERY (東京)
「Echo in the depths」アンフォルメル中川村美術館(長野)
ギャラリー憩ひ(佐賀)
2012 「深い水脈をさがすように」 ギャラリーYUKI-SIS labo /東京
2010 ギャラリー憩ひ/佐賀
2007 Teatres des SENS /東京、ギャラリー憩ひ/佐賀
2006 杏風路舍/佐賀
2005 「水アンテナの記憶」 ガレリア・デコ/サンパウロ
2003 Teatres des SENS /東京(‘01、‘02)
2000 INAX ギャラリー /東京
1999 プラザギャラリー/東京
1997 ギャラリー美遊 /東京
グループ展
2013 Coletiva de acervo - Em foco obras do artista japones Ogawa Yasuo, e outros -
ガレリア・デコ(ブラジル・サンパウロ)
2012 Magnetic Field Resonance -磁場共鳴-」(ギャラリーYUKI-SIS /東京)
MARCAS DO TEMPO(ブラジル・サンパウロ/ガレリア・デコ)
-透過する揺らぎ- 小川泰生・烏山秀直展(ギャラリー憩ひ/佐賀)
2011 Círculos Traçados(ブラジル・サンパウロ/ガレリア・デコ)
2010 KONSEI 2(ブラジル・サンパウロ/ガレリア・デコ)
SP ARTE 2008(ブラジル・サンパウロ/MACサンパウロ州立現代美術館)
2009 コレカラ展 (東京/Teatres des SENS)
2008 SP ARTE 2008(ブラジル・サンパウロ/MACサンパウロ州立現代美術館)
ARTE BRAZIL - JAPAN(ブラジル・サンパウロ/MACサンパウロ州立現代美術館)
Acervo展(ブラジル・リオデジャナイロ/アマレイロネグロ コンテンテンポラリーアート)
Entre Oceanos 100 anos de aproximação ente Japão e Brasil (ブラジル/ラテンアメリカ現代美術館)
2007 Coluna Infnita 2007(ブラジル・サンパウロ /ラテンアメリカ現代美術館)
MIX(ブラジル・サンパウロ/ガレリア・デコ)
2006 越後妻有アートトリエンナーレ、「儀明劇場" 倉 "」プロジェクトに制作参加
2003 ワックス ワーク サイト (東京/ギャラリー砂翁&トモス)
越後妻有アートトリエンナーレ、「儀明劇場" 倉 "」プロジェクトに制作参加
2002 第5回藤野国際アートシンポジウム2002(神奈川県藤野町)
2001 アーティスト・イニシアティヴ・リンクス " パドゥルズ " (ドイツ・ドルトムント/クンストラー
ハウス)
TAMA VIVANT 2001 (多摩美術大学八王子校舎、都営大江戸線都庁前駅)
2000 SPACE FACTORY SERIES3 インスタレーションを担当(横浜山手イタリア山庭園内ブラフ18番館)
1999 鈴木亘彦・小川泰生2人展(ブラジル・サンパウロ/ガレリア・デコ)
などその他多数
「潜在する感覚」 ホルベインスカラシップ奨学生 レポート
昨年、ある記事に目が留まった。ロシアの研究チームがシベリアのツンドラから発見された 3万年前の植物の種子を発芽させることに成功したというものだった。しかも花が咲いた1年後には新たな
種子を実らせたという。日本で公共工事の際に、偶然出土した1400 年前の蓮の種子が自然発芽した話は聞いたことがあったが、3万年前とは驚きだった。地中深く眠っていた種が悠久の時を経て開花するという事実に妙な興奮を覚えた。そして3万年前について調べてみると、人類最古の絵画であるショーヴェの洞窟壁画が描かれた頃であることが分かった。人間は日々狩猟に明け暮れ、畏怖に満ちた自然と交感しながら野生に生きていただろう。もしかしたらその頃の感覚が自分の中に潜在していて、脳の一部分でも刺激したらシベリアの種子のように3万年ぶりに目覚めるのではないかという妄想に繋がっていった。
自分が都市に住む一人の人間である前に、自然界に存在する小さな一生命体であるという当たり前のことを実感したことがあった。その経験を機に人間の中に潜在的に存在する動物的感覚や原初的な感覚、またはそれを通して得られるものをイメージし作品化している。現代生活に慣らされてしまったために表に出てくる術を失い、奥深くにうずくまっている人間が野生を生きていた頃の感覚、過去を受け継いでいる感覚といえるだろうか。それは、せわしく過ぎていく情報過多の現代生活の中では退化しているかもしれないが、今だからこそ人間が人間という生き物(動物)らしくあるために必要な
ものに思えてくるのだ。
以前は細胞を想起させる様な有機的な抽象形態を描くことが多かったが、最近は段々と風景や動物等の具象形態が要素として加わってきた。これはアニミズムや土着信仰、先住民の神話や自然崇拝への興味が増し、作品に強く影響してきた表れだといえる。今後まず住む場所を思い切って変えようと思っている。自分が一生命体であるということをより実感できる場で潜在する感覚を発芽させるべく制作したいと考えている。
「作品について」 (2012個展「深い水脈をさがすように」にむけての文章)
いつだったか、ただただぼんやりと夜空を見上げ月を眺めていた時のこと。小刻みに進む秒針のような時の流れが少しずつ緩やかなものに変化していく。ゆっくりと様々なイメージが膨らんでいく中で、自然界に存在する微小な生き物としての自分を確認したことがあった。近くで鳴いている虫や足元の植物と同列に存在する動物で、自然に属している、という妙にリアルな感覚がふっと入ってきた。理屈では分っていたことだが、それは妙に実感めいていて安堵感のようなものだった。その頃からか、人間の中にある動物的感覚というものに興味を持つようになった。現代生活に慣らされてしまったために表に出てくる術を失い、奥深くにうずくまっている野生を生きていた頃の感覚、言い換えれば人間に進化してきた過去を受け継いでいるはずの感覚と言えるだろうか。それは、せわしく過ぎていく情報過多の現代生活の中では退化しているかもしれないが、今だからこそ人間が人間
という生き物(動物)らしくあるために必要なものに思えてくる。人間の中に潜在するそういった感覚、またはその感覚を通して得られるものをイメージし、形にしてきたのがパラフィンワックスを用いた平面作品のシリーズだ。今回の展示ではその延長となる作品を発表する。近年インスピレーションを受けているアニミズムや先住民文化・哲学の影響も作品に変化を加えてきている。
最近、制作中にふと思ったことがある。それは自分にとっての制作とは地中深くにある水脈を探す行為に似ているな、ということ。人間を大地、動物的感覚を水脈に置き換えてイメージすると妙にしっくりくるところがあった。奥深くに流れているだろうその存在を探すような、そしてその水を掬い上げるような制作という行為に強く惹かれている。
写真家の星野道夫著の本で出会って以来、いつも頭の片隅にある言葉。
神話学者ジョセフ・キャンベルの言葉より
私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。 今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるのか、そんなことを一切忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。 本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所だ。 これは創造的な孵化場だ。はじめは何も起こりそうにもないが、もし自分の聖なる場所をもっていてそれを使うなら、いつか何かが起こるだろう。 人は聖地を創り出すことによって、動植物を神話化することによって、その土地を自分のものにする。 つまり、自分の住んでいる土地を霊的な意味の深い場所に変えるのだ。
「魔法のことば」 金関寿夫『アメリカ・インディアンの口承詩』より
ずっと、ずっと大昔
人と動物がともにこの世に住んでいたとき
なりたいと思えば人が動物になれたし
動物が人にもなれた。
だから時には人だったり、時には動物だったり、
互に区別はなかったのだ。
そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。
その時ことばは、みな魔法のことばで、
人の頭は、不思議な力をもっていた。
ぐうぜん口について出たことばが
不思議な結果をおこすことがあった。
ことばは急に生命をもちだし
人が望んだことがほんとにおこった---
したいことを、ただ口に出して言えばよかった。
なぜそんなことができたのか
だれにも説明できなかった。
世界はただ、そういうふうになっていたのだ。